
日本の文化
日本の映画
1960年代の日本映画産業
1960年、日本の映画産業は史上で最高製作本数となる547本を製作し、そのピークを迎えました。一見すると映画産業はどんどん発展し続けるかのように見えますが、実際には、1950年代後半から日本の映画産業に翳りが見えはじめ、観客動員数は急激に落ちていきます。1958年の約12億人近いの観客動員数を記録しましたが、それ以降は急激に下降し、1963年には半分以下の5億人強となったと言われます。
この背景には1953年より登場したテレビの急速な普及が挙げられます。テレビは1959年の皇太子結婚をきっかけに一般に広く浸透し、1964年の東京オリンピックでその勢いは加速しました。それにより人々の映画館離れ、テレビへのシフトが顕著になっていきます。
戦争や差別や貧困など社会的テーマを掘り下げ、それに翻弄される弱者の姿を、同情を込めて美しく描いた作品を発表し続けた今井正の『あれが港の灯だ』、老人問題を取り上げた『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』、封建社会の残酷さを7つの物語で描き、第13回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した『武士道残酷物語』、家族や人間関係をテーマにした作品を数多く手がけ、日本映画史に大きな足跡を残した小津安二郎の遺作となった初老の父親と婚期を迎えた娘の心情を繊細に描いた『秋刀魚の味』、国家権力に侮蔑される人間の屈辱感を描き出し、自身も権力に闘争的に対峙する姿勢を貫いた大島渚の安保闘争を描いた『日本の夜と霧』や死刑制度を扱った『絞死刑』、時代劇映画の醍醐味を存分に見せ刀の斬殺音や残酷な描写を取り入れるなど、従来の時代劇映画の形式を覆して後の作品に大きな影響を与えた黒澤明の『用心棒』や『椿三十郎』、安部公房の小説を原作にした、前衛的でシュールレアリスティックな人間ドラマの傑作である勅使河原宏『砂の女』、水上勉の同名小説を原作にした人間の内に潜む心の闇をスリリングに描き出した名作、内田吐夢の『飢餓海峡 』などが挙げられます。

小津安二郎監督『秋刀魚の味』
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